【10月31日】

真岡市内のグランドホテル静風で、栃木県市議会議長会主催の研修会が行われ、県内14市の市議会議員が集まった。
この日は、まず午前中に議長会の会議が行われ、来年度の役員の割り振りや予算案などについて話し合った(14市の正副議長が一堂に集まると、まるでサミットのような雰囲気です)。
その後、午後1時半から行われた研修会では、(財)栃木県産業振興センターの黒崎日出雄理事長が『どうなる地域産業、どうする経営』と題し、講演を行った。
黒崎理事長は地域の産業力について、誘致した大手企業を先端、地元の中小企業を底辺とするピラミッドに例えながら『これまで誘致企業に依存してきた栃木県の産業構造は、先細り型で不安定である』と指摘。これから生き残るためには、地域の特性を活かした地場産業の創出と、『購買』から『訪問(観光)』、『定住』を意識した地域ブランドづくりが必要不可欠と訴えた。
今回の研修会は、真岡市が開催市だったため、副議長の私も講師選定などに関わる機会に恵まれた(この日は、講師紹介を担当しました)。
今回の黒崎理事長の講演は『栃木県内の経済が再浮上するためには“発想の転換”が必要』ということが趣旨だったが、真岡市も含めて各市において、産業政策を考える上でのヒントになってくれればと願うばかり。

【10月30日】

地元・大谷地区で避難訓練が行われた。
これは、東日本大震災の折『どこに避難すればいいのか分からなかった』という声が住民からあがったことを踏まえて、地域全体で防災体制を見直そうと、新たに緊急避難場所を選定。住民に浸透を図るため今回初めて訓練を行った。
住民は午前9時、一斉に指定された避難場所に移動(写真右端はわが母方子。HPに初登場)。私が住む3町会1班が避難場所として指定されたのは、近所の大和製缶社員寮の駐車場だった。
この日は、ただ集まって参加者の確認をするだけの単純なものだったが、こうした初期動作の確認が重要であることを、震災を経験して初めて気付かされたように思う。

【10月26日】

市民公園で行われた『老人・身障合同スポーツ大会』に出席。議長の代理としてご挨拶をさせていただき、その後ジャージに着替えて競技進行のボランティアとしても参加した。
このイベントは、市内に住む高齢者や障がい者がスポーツを通して親睦を深めることを目的に毎年行われているもので、今年は秋らしい好天の下、延べ1200名を超える参加者が『輪投げ』や『パン喰い競争』『玉入れ』などの種目でさわやかな汗を流した。

【10月22日】

茨城県桜川市で開催された『第17回全国報徳サミット』に出席した。
この報徳サミットは、二宮尊徳やその弟子達が『報徳仕様』を用いて農村復興を手がけた地域同士で連携を深め合い、歴史を活かしたまちづくりに取り組むことを目的としており、真岡市を含めて北海道から三重県まで18市町村が参加し、毎年実施している。
サミットでは、二宮尊徳が現在の桜川市青木地区で取り組んだ農村復興の様子を、市民が演劇で再現(こういう市民参加の形って素晴らしいと思う)。その後、参加自治体による現状報告が行われた。この中には、東日本大震災と福島第1原発の事故によって大きな被害を受けた福島県相馬市、南相馬市などもあり、報徳サミットの縁で結ばれた各自治体から支援を受けた琴への感謝の言葉があったが、復興に向けてはまだまだ道のりが遠く、厳しい現実にさらされていることも改めて知らされた。
報徳サミットではこのほか、桜川市内の大国小学校と岩瀬小学校の児童達によって、学校で取り組まれている二宮尊徳研究の報告、さらに『小説二宮金次郎』を書いた、作家・童門冬二氏による講演会などが行われた。

【10月19~21日】

芳賀地区広域行政事務組合議長会の行政視察で、芳賀地区1市4町の正副議長とともに兵庫県伊丹市と滋賀県近江八幡市を訪れた。
今回の視察テーマは『震災復興』と『斎場整備』だった。
(伊丹市)
伊丹市は、平成7年1月17日に発生した阪神大震災で、死者23名、被害家屋16805戸と甚大な被害を受けた。当時、TVの中継で阪急伊丹駅が倒壊した様子が度々伝えられたが、その光景は今も生々しく私の脳裏に焼き付いている。
伊丹市における震災復興の取り組みは非常に早く、被災して1ヶ月後には『震災復興基本方針』を策定。2ヶ月後には『震災復興緊急整備条例』を制定している。
これほど迅速な動きを見せながらも、市民と行政が協働で話し合いながら(自治会役員と市で『震災復興推進委員会』を結成)合意形成を進めたことは注目に値する。
復興までの期間は5年、費用にして45億円(市単独の財源は37億円)で完了したという。
その後、震災から復興した伊丹市の街並みや、市内各所に設けられた防災公園(公園内には非常食などを備蓄する倉庫が置かれている)などを、市職員の説明を受けながら見学した。
今回の視察で特に感心させられたのは、市民と情報を共有しながら、協働で復興に向けて取り組みを進めた伊丹市役所の真摯な姿勢だった。それは、震災発生直後から、行政の情報を市広報の“号外”として発行し、市民に配布し続けたことにも如実に現れている。
結果として、復興の基本計画や関連条例が迅速につくられ、あれほどの被害を受けながらも、わずか5年で復興を完了した原動力になったものと思われる。

(近江八幡市)
芳賀地区広域行政事務組合が運営する斎場(火葬場)は昭和53年に供用を開始し、すでに33年が経過している。
そうした中、各市町の議会でも『ごみ処理施設の整備後に課題となるのは、斎場の再整備だろう』という声が多くあがる。無論、ごみ処理施設の整備も完了までには多くの時間がかかることも考えられる。加えて、今回の震災復興に各市町とも相当の時間と費用を要することも考慮に入れれば、斎場の再整備はまだまだ先のことにはなると思うが、将来を見据えて、各市町で共通の認識を持つことだけは、現時点においても必要であることには違いない。
今回視察した近江八幡市の斎場『さざなみ浄苑』は、従来の斎場の老朽化(明治期に建てられたものだったらしい)を受けて、平成16~17年にかけて整備された施設である。総事業費は10億600万円。広域行政ではなく、市の単独事業(人口は約8万2000人)で行っているということは、いささか驚いたが…。
施設を見学してみると『道の駅』か『割烹料理店』のような佇まいで、従来の斎場のイメージはない。
この施設整備にあたっては、市民も参加して『建設検討委員会』や『運営権当委員会』に分かれて、『近江八幡らしさ』にこだわったコンセプトを打ち出したとのこと。
近江八幡市は、平成16年に制定された景観法に基づく「景観計画区域」に全国初の指定を受けたことで知られる。
周辺の景観にとけ込んだ施設の雰囲気は、そうした市民のこだわりが活かされているのかも知れない。また、施設内に授乳室が設けられたのは、市民からの提言によるものらしい。

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